昭和22年1月13日、愛媛県伊予三島市に生まれる。7人兄弟の末っ子。「矢代まさこ」はペンネーム
だが、「正子」は本名。まんがを好きでかきはじめたのは、小学生のころ。自分で絵をかき、ぬり絵にし
て楽しんでいたのにも満足できなくなって、まんがをかき始めた。新城さち子氏に大きな影響を受けた。
 昭和36年、貸本誌『街』の第38回新人コンクールで入選。『街』52号に「姉(あね・おとうと)弟」が掲
載された。(谷真沙美名義)
 15歳の時、金園社の単行本『すみれ』に掲載された「ちいさな秘密」でデビュー。16歳で大阪に出て、
二十歳のとき、まんが家で新城さち子氏の弟である、山本まさはる氏と結婚。
 金園社の貸本『すみれ』、『虹』に中・短編を描き、虹文庫の1冊として最初の単行本『光の中の子供た
ち』を刊行した。昭和38年9月には若木書房の『こだま』、『泉』に中編を発表、同書房での活動が中心
となり、「ようこシリーズ」全28巻を刊行した。
 昭和41年10月、『別冊マーガレット』10月号に「ちびっこ聖者」を発表、それまで「わりあい自由にか
いていた」、貸本向け単行本マンガから雑誌に活動を移した。
 昭和43年、『COM』6月号から短編シリーズの連載を開始した。また、『少年マガジン・キング・ジャン
プ・サンデー・チャンピオン』と少年誌でも活躍した。
 昭和51年〜53年にかけて一時期、睦月とみのペンネームで執筆。
参考資料:『虹』39号、作品掲載雑誌等


グットまじめくさったページ
 小学校六年の頃、それまで自分の絵でマンガを作ってきた私は、ある女流マンガ家の影響を大いに
うけた。
 そのおかげで、自分だけの絵をかこうと努めている今でさえ、「どこかで見た絵だネ」という友人の批評
は絶えない。
 すっかり悲観した私は自分の絵に「嫌悪」をいだかずにはいられなかった・・・
他人の絵が全部きれいに見え、自分の絵だけがいびつによごれているように見えた。
 去年すみれ「24」でスタートさせてもらって以来、この長編でたしか14本目の作品だと思うが、自分
ながら気に入った作品が一本だけあるにはある。それも満点ではない・・・
 とにかく人に見られると思うとはずかしくてはずかしくてたまらないものばかりなのだ。
 しかし・・・ フッと考えた。もっと自分の作品をかわいがってやらなければ・・・と。決して自分の絵が
うまいと思うようになったのではない。ただ・・・今までの私には自分の絵に愛情らしいものを与えようと
した記憶は少しもないのだ。
 自分の手で作っておきながら、くさし、きらい、投げだしていた。自分で自分の作品を批評してみるなら
ともかく、それではいけないとこの間気がついたのだ。
 私は「マンガ家」というにはあまりにもミジュクすぎる卵の卵のもとのもと、これから先は長い。どんどん
なにかを求め、さぐってすすんで行きたいものだ。
1963年・・・   
虹文庫 NO.38『光の中の子供たち』