『虹』、『すみれ』発行月推定表について

1.『虹』の創刊は、下表の備考のとおり第10集が3月3日発行であることから、逆算して昭和34年(1959年)
 6月創刊と推定した。
2.同様に『虹』第9集の予告から、『すみれ』創刊は昭和35年2月15日と推定した。
3.『すみれ』が完全に月刊誌であれば、矢代まさこ氏デビュー号の『すみれ』 No.24は、昭和37年1月の発刊
 となる。
4.しかし、矢代まさこ氏は質問に答えて、はじめて作品が本にのったのは「昭和37年9月でした」と言っている。
○マンガをかきはじめたのは・・・・・・・・・?
 (十の時です)
○マンガかきになったきっかけは・・・・・・・・・?
 (ある出版社の新人募集に応募して)
○はじめて作品が本にのったのは・・・・・・・・・?
(昭和37年9月でした)
  『なぜなぜ遊びを』〜ようこシリーズ11 読者のページ
5.『なぜなぜ遊びを』の刊行は昭和40年5月(推定)である。昭和37年というと3年前である。後年の回想な、
 ら本人が誤解をしていることも多いと考えられるのだが、3年前の1月と9月を間違えるとも思えない。
6.また、『すみれ』の矢代作品に付された制作年記が、月刊で推定した『すみれ』の刊行月より遅い例がある。
 ※『すみれ』No.30掲載の「月とバラと秋の歌」の制作年記は、「'62.正子.8.28.夜」であり、37年7月より遅い。
 作品を書き上げた日より、雑誌の発行月が早くなるはずはないから、矢代作品の記載が正しければ、推定月が
 間違っていることになる。同様に、『すみれ』No.37掲載の「街頭の光淡く」の制作年記は「'63.7.24」である。
 同号の昭和38年2月の刊行はあり得ないことになる。
7.『すみれ』No.11には「すみれ第12集は1月20日発刊です」の予告がある。このことから、第12集刊行の時点
 では、『すみれ』は確かに月刊であったことがわかる。
8.『すみれ』の刊行状況と矢代発言を矛盾なく結びつけるには、『すみれ』がどこかの時点で隔月刊になった等の
 原因が考えられる。試みに途中から隔月刊としたものが、「すみれ2」の推定である。この推定だとNo.47の刊行
 が41年7月となり、少し遅すぎるように思える。
9.なお、『虹』にも同じことが言える。『虹』第45集掲載の新城さちこ氏の「鬼っ子七つ」には、「1963.7」の記載が
 ある。 『虹』が完全に月刊であったとすると、第45集の発行は38年1月になる。作品を書き上げる前に掲載さ
 れることはあり得ないから、やはり月刊でなくなった時期があると推定できる。。
10.『虹』、『すみれ』の発行時期の推定を困難にしている理由は、この両誌にお互いの宣伝(発売のお知らせ)が
 ないことである。『虹文庫』巻末のお知らせにも、『虹』、『すみれ』の宣伝はあるが号数はまったく載っていない。
11.矢代まさこ氏の若木書房への移籍(移動)はいつであろうか。若木書房での最初の作品は、昭和38年の『泉』
 及び『こだま』各9月号である。さらに、11月以降は連続で『こだま』に作品を掲載している。このことから判断する
 と、38年の後半には若木書房中心の活動に移っていたのではないだろうか。
12.金園社での最初の長編「光の中の子供たち」(虹文庫 No.38)の中で、矢代氏はこの作品を14番目の作品だ
 といっている。なお、この作品のあとがきには、1963年・・・と記されている。
13.金園社での中・短編は全部で17作品と推定している。このうち13作品が長編より前の発表であり、かつ昭和 
 38年までの作品ということになる。上記の若木書房への矢代氏の移動時期を考え合わせると、『虹』『すみれ』の 
 終了時期も、途中から完全に隔月刊になった推定より相当早まることになる。 
14.この推定の目的は矢代作品の刊行時期を明確にすることにある。このため、上記の内容を加味した推定が、  
 「推定3」である。当面はこれにより作品の刊行時期とし、新たな資料が見つかった場合は順次訂正していくこと  
 としたい。 
                                                            (2005.12.30)



発行年月推定表
『虹』発行年月推定 『すみれ』発行年月推定
年 月
推定1 推定2 推定3
備          考
推定1 推定2 推定3
備          考
34年
  6月
(1959)
第8集から逆算すると、
『虹』創刊は34年6月か。
発行日は6月3日と推定
※創刊号入手しましたが、
発行日の記載はありません。
 
34年
  7月
 
 
34年
  8月
 
 
34年
  9月
 
 
34年
 10月
 
 
34年
 11月
 
 
34年
 12月
 
 
35年
  1月
(1960)
『虹』第8集は新年号。『虹』の
発売日は毎月3日
『すみれ』第1集創刊号近日
発売の予告
35年
  2月
『虹』第10集は記念増大号、
3月3日発行の予告
2月15日『すみれ』創刊。
35年
  3月
10
10
 
『すみれ』A「すみれの発刊日
は毎月15日」とあり、月刊誌で
あったことがわかる。
なお貸出票には「35.7.1」の表示
がある。これから、36年ではない
ことがわかる。
35年
  4月
11
11
 
 
35年
  5月
12
12
 
 
35年
  6月
13
13
『虹』は毎月3日発売です。
当時は確実に月刊であった
ことがわかる。(13号)
 
35年
  7月
14
14
 
 
35年
  8月
15
15
 
 
35年
  9月
16
16
 
「すみれ」第8集 
35年
 10月
17
17
 
 
35年
 11月
18
18
 
10
10
 
35年
 12月
19
19
虹20集記念号は12月20日
発刊の予告
11
11
11
すみれ第12集は1月20日
発刊です
」の予告
20
20
20
『虹』20集12月20日発刊
(予告から)

※この予告からすると発売日
が変わることにより、この月は
2冊刊行となったと推定される。
36年
  1月
(1961)
21
 
12
12
 
36年
  2月
22
21
21
『虹』も当初の月刊が途中から
隔月刊、もしくは不定期刊行に
変わっている。推定2では完全
な隔月刊として推定
13
12
「推定2」は、昭和36年から
完全な隔月刊となったとして
推定した。
36年
  3月
23
  
14
13
矢代まさこ氏のデビューから逆算
すると、この20か月間に12号を
発行の計算になる。
「推定3」は、36年に入って
隔月刊となったが、金園社となっ
て月刊に戻ったとの推定。
36年
  4月
24
22
22
  
15
13
 
36年
  5月
25
  
16
14
 『すみれ』 No.14の広告。
虹文庫1〜3、近日発売。
36年
  6月
26
23
23
『虹文庫』近日第一巻発売。
発行日毎月1日。(『虹』23)
明確な根拠にはとぼしいが、
推定3では『すみれ』との関連
づけにより、推定した。基本は
すみれ21と虹30を同時期に
することである。
しかし、これでは、すみれ17と
虹24が離れすぎているが、
とりあえず、このままとした。
『すみれ』と同様に金竜の時代
を隔月刊、金園社になって月刊
に戻ったとの推定
17
14
36年6月 『街』52号に
矢代まさこ投稿作品掲載
36年
  7月
27
  
18
15
  
36年
  8月
28
24
24
  
19
15
  
36年
  9月
29
  
20
16
  
36年
 10月
30
25
25
  
21
16
  
36年
 11月
31
  
22
17
金竜出版社刊
『すみれ』No.17
中記事
「楳図先生はご病気も全快し
虹24から作品がのって
おります
虹文庫2〜6の宣伝
36年
 12月
32
26
26
  
23
17
  
37年
  1月
(1962)
33
 
24
18
 
37年
  2月
34
27
27
 
25
18
  
37年
  3月
35
  
26
19  
37年
  4月
36
28
28
 
27
19
  
37年
  5月
37
29
『虹』第29集までは
金竜出版社発行
28
20
『すみれ』 No.20は金園社
下記の矢代デビュー作と関連
付けると、どこかで月刊になっ
ていないと、うまく繋がらない。
ここでは、全くの仮定として、
その時期を金園社への移行の
時とした。
虹文庫は「16まで」刊行済
37年
  6月
38
29
30
『虹』第30集以降は
金園社発行。『すみれ』No.21
の新城作品記載事項との関連
から、前月か同月と推定
29
20
21
『すみれ』No.21新城さち子
「まんがのかきあがるまで」
中に「虹30号記念発売中
の文字がある 
37年
  7月
39
31
  
30
22
  
37年
  8月
40
30
32
  
31
21
23
  
37年
  9月
41
33
   
32
24
『すみれ』 No.24は
矢代まさこ氏デビュー号。

矢代まさこ氏デビューは
37年9月。
 <1>
はじめて作品が本にのった
のは「昭和37年9月でした」

小酒井作品に37.5.5の記載
37年
 10月
42
31
34
  
33
22
25
『すみれ』 No.25に
虹文庫26、27の予告 <2>
37年
 11月
43
35
虹文庫の案内はない
<4>
34
26
<3>
37年
 12月
44
32
36
次号予告「ひとつ星さえ涙色」
は虹文庫31
虹USO新聞
「東京オリンピックの陸上の
部に、マンガの楳図かずお
氏が決まりました」
35
23
27
『すみれ』 No.27に
虹文庫29の予告
38年
  1月
(1963)
45
37
「白い野いばらの道」近日
発刊。虹文庫29なので上記
の31と逆転しています
<6>
36
28
『すみれ』 No.28に
虹文庫31の予告
<5>
38年
  2月
46
33
38
<7>
37
24
29
『すみれ』 No.29に
虹文庫33の予告
38年
  3月
47
39
<9> 
虹・作者紹介・・・矢代まさこ
虹文庫予告は33「青春の花
咲く街角」案内は29から32 
38
30
『すみれ No.30』矢代作品に
「'62.正子.8.28.夜」の記載
書き上げたのは、デビュー作
掲載前か
<8>
虹文庫35の予告
34〜39の案内
38は「光の中の子供たち」
38年
  4月
48
34
40
『虹』40号の矢代作品
「その夜の挽歌」には
「'62.11.15」の記載。
<10>
39
25
31
  
38年
  5月
49
41
<11>
40
32
   
38年
  6月
35
42
『虹』42号の矢代作品
「カラス猫が鳴く」には
「'62.12.6」の制作年記
<12> 
41
26
33
  
38年
  7月
43
『虹』43号の矢代作品「古びし
聖堂の愛のマリアに」の後記
イラストに「'63.5.5」の制作年記
がある。
<13>
虹文庫44の新城さちこ
「白い布のお城」近日発刊
虹文庫の案内は38から44
まで 
42
34
『すみれ』34楠作品に63.5.12
の記載、佐藤作品にJune-63
の記載。

虹文庫44、46の予告
46は「青い霧の流れ」執筆中
44「白い布のお城」新城さちこ
の予告中に、「ヘイこんにちは
山本サーカスの 正子でヤンス」
との吹き出しあり。 
38年
  8月
36
44
<14> 
43
27
  
38年
  9月
45
  
44

35
『すみれ』35すみれルームに
「秋です!」「わがすみれ
編集部も口々に暑い暑い
いわなくなり」とある。虹文庫
の予告は50まで。

若木書房『こだま』9月号に
執筆
38年
 10月
37
46
<15>
45
28
36
佐藤節子「友情」の最後に'63
JULYの記述
読者ルーム「一ケ月ぶりの
ごぶさたです」
38年
 11月
47 虹文庫の案内はない
46
37
『すみれ No.37』矢代作品
「街灯の光淡く」に「'63.7.24」の
制作年記。
<16>
楠作品には「'63.9.22」の
制作年記。 
38年
 12月
38
48
 『虹』新城さち子「風の便り」
に1963.10.7の制作年記
今回48号より三回ルーム
に掲載された人にかぎり
虹・すみれ・虹文庫の
表紙原画を差し上げます
47
29
38
『すみれ No.38』山谷作品に
「38.10.20」の記載
寒さに負けずお元気のことと
思います」
今度、三回続けて読者ルーム
に載った人に表紙原画をプレ
ゼント(読者ルーム) 
虹文庫55号予告
39年
  1月
(1964)
49
  
48
  
39年
  2月
39
     30
39
『すみれ』39本誌に三回当選
した人には”表紙原画”を贈呈
山谷ルミ子のページに38.11.25
の記述あり。大好きな曲は
「ヘイポーラ」(1963ヒット)
「恋のバカンス」(1963.4発売)
虹文庫の宣伝は55号まで
39年
  3月
    
  
39年
  4月
40
    31
40
  
39年
  5月
   
  
39年
  6月
41
     32
41
 
39年
  7月
    
42
 「太陽が一杯のがやって
来ましたね」
カットの犬に「1964オリンピッ
ク」の文字
(『すみれ』42)
漫画オリンピックの金メダル
候補”虹””すみれ””虹文庫”
”サムライ・シリーズ”
サムライ・シリーズ創刊号
毎月発行。ご期待ください。
※42号は「夏」ということで、
7月から8月ころ刊行と推定。
39年
  8月
42
50
貸本として使用された日付で
一番古いのは39.8.29となって
います。これまで9月と推定し
ていたのですが、8月に移し
ました。
虹文庫の予告はNo.57さが・
みゆきの「ふりむけばひとり・・」
です。  
 
33
  
39年
  9月
     
43
  
39年
 10月
43
 
    
34
44
さわやかな秋のすず風にの
せて すみれ44集おとどけし
ます。
※秋ということで、9月〜
10月頃と推定
39年
 11月
     
  
39年
 12月
44
51
(?)
     
35
45
 山谷ルミ子の作品の最後に
編集部からのお知らせ「読者
のみなさま いつも虹の御愛
読ありがとうございます みな
さまのおかげで虹も51号とな
りました これからもどんどん
新しい新人がお目見えいたす
と存じますがよろしくおうえん
して下さいね」とある。
「虹」に載せる予定が「すみ
れ」になったのだろうか。
『虹』の51号は発行されたの
だろうか。
仮に発行されていた場合は、
同時期の発行となるか。
虹文庫58『幸福えの序曲・
作本村三四子』について
早速の感想文ありがとう。
本村先生の長編まんがは
この作品が処女出版です。
40年
  1月
(1965)
    
  
40年
  2月
45
    
36
46
すみれ46に虹文庫65
「さよならが残る道」の広告
 日本一の少女誌 虹
 夢と希望の珠玉集 すみれ
 長編少女漫画の女王 虹文庫
※この時点でも『虹』の発行は
あることになっている 
「三回つづけてぼくの作品が
”すみれ”にのりました
表紙原画お送りください」との投稿
40年
  3月
    
  
40年
  4月
46
     
37
47
『すみれ No.47』矢代作品に
「63.7.12」の記載
これは、かつて提供してあった
作品の掲載と考えられる。
<17>
ますます人気フットウの
 ”すみれ”の姉妹誌
 ”虹”
 ”すみれ”別冊
 ”虹文庫”
 続々刊行ご期待ください
40年
  5月
    
  
40年
  6月
47
     
38
48
  
40年
  7月
    
   
40年
  8月
48
    
39
49
  
40年
  9月
   
 
40年
 10月
49
※20号以降を完全な隔月刊と
すると、49号の発行は40年の
10月となる。これは遅すぎる。
完全な隔月刊ではなく、不定期
刊行であったと推定するのが、
正解に近いと思える 
 
40
  
40年
 11月
 
    
  
40年
 12月
50
    
41
 
41年
  1月
 
    
  
41年
  2月
51
    
42
   
41年
  3月
 
 
     
 
41年
  4月
 
 
    
43
  
41年
  5月
 
    
  
41年
  6月
    
44
  
41年
  7月
 
    
  
41年
  8月
 
 
    
45
 
41年
  9月
 
    
  
41年
 10月
 
    
46
※41年10月、矢代まさこ
「別冊マーガレット」デビュー
 


以上の結果から矢代まさこ作品の作品掲載を次のように推定しました。
番号 掲載年月 掲載雑誌 号 数 作   品   名 備 考
<1> 37年 9月
『すみれ』 No.24 小さな秘密 デビュー作
<2> 37年10月
『すみれ』 No.25 太陽の下   
<3> 37年11月
『すみれ』 No.26 黄色いリボン   
<4> 37年11月
『虹』 No.35 つうの笛   
<5> 38年 1月 『すみれ』 No.28 ジャングル・アンナ   
<6> 38年 1月 『虹』 No.37 花が知ってる   
<7> 38年 2月 『虹』 No.38 亜紀子   
<8> 38年 3月 『すみれ』 No.30 月とバラと秋の歌   
<9> 38年 3月 『虹』 No.39 ちょうちん峠   
<10> 38年 4月 『虹』 No.40 その夜の挽歌   
<11> 38年 5月 『虹』 No.41 さくら詩   
<12> 38年 6月 『虹』 No.42 カラス猫がなく   
<13> 38年 7月 『虹』 No.43 古びし聖堂の愛のマリアに <14>「光の中の子供たち」
<15> 38年 8月 『虹』 No.44 ナナの日 <16>この頃「愛のつぼみの詩集」
    38年 9月                 <17>この頃「青い霧の流れ」
<18> 38年10月 『虹』 No.46 そよ風の頃   
<19> 38年11月 『すみれ』 No.37 街灯の光淡く   
<20> 40年 4月 『すみれ』 No.47 おどれよピエロ   
※虹文庫の3冊の刊行時期が近すぎるように思いますが、現在までに確認した資料では、詳しいことはわかりませんでした。『虹文庫』は1か月に2〜3冊が発行されたのではないかと考えています。『すみれ』『虹』との関連でも、数ヶ月のずれがあるかも知れません。38年9月には、若木書房での作品掲載が始まっていますので、単行本の3冊は、この前後に発表されたものと考えています。(2005.12.30)